COBOLをシートに手書きしていた頃。80~90年代、OSS普及前の開発風景に学ぶこと
インターネットが一般的ではない時代にエンジニアはどのように仕事をしていたのでしょうか。WebDINO Japanの瀧田佐登子さんに、かつてのエンジニアの姿、そしてオープンソースという概念が一般化していく過程を、貴重なエピソードとともに聞きました。
オープンソースというカルチャー、そしてそこから生み出されるソフトウェアは今やあらゆる開発活動に不可欠なものです。多くのIT、インターネット関連企業の開発は、オープンソースなくしてもはや成り立たないでしょう。
一方で、言うまでもなくオープンソースという概念がまだ一般的ではない時代もあり、そしてその時代にも開発は行われていたのです。
「オープンソース」という言葉は、1998年に『伽藍とバザール』の著者、エリック・レイモンドによって発表されましたが、この言葉が指し示す概念が一般化していく過程には、あるソフトウェアの影響がありました。90年代のインターネット黎明期に大きなシェアを誇ったWebブラウザ「Netscape Navigator」です。1998年にアメリカのNetscape Communications社(以下、ネットスケープ社)が、同ブラウザやメールクライアントといった一連のソフトウェアパッケージである「Netscape Communicator」のソースコードを世界に公開したのです。
この世界を揺るがすような大きな出来事の渦中にいたのが一般社団法人WebDINO Japan(旧、Mozilla Japan)の代表理事である瀧田佐登子さんです。
瀧田さんはインターネットが一般的ではない時代にエンジニアとしてキャリアをスタートさせ、その後、オープンソースというパラダイムシフト、そしてOSSであるWebブラウザ「Firefox」開発に携わりました。かつてのエンジニアの開発風景、オープンソースというカルチャーが市民権を獲得してきた過程を、生き証人とも言える瀧田さんに聞きました。
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