福岡と東京で働いて見つけたエンジニアとして生きる意味。YAPC::Fukuoka実行委員長と考えるコミュニティが必要な理由

博多祇園山笠でにぎわう福岡で生まれ、東京でのエンジニア生活も経験した平田哲さんに、福岡での働き方、YAPC::Fukuokaなどコミュニティ運営について伺いました。

福岡と東京で働いて見つけたエンジニアとして生きる意味。YAPC::Fukuoka実行委員長と考えるコミュニティが必要な理由

「情報が集まるところで働く」「人が集まるところで働く」——それはエンジニアの常識のように考えられていました。しかし10年前ならまだしも、情報がすぐに伝搬し、ネットの生中継も、人の移動も簡単になったいま、大きな都会で働くメリットはどれほどあるのでしょうか?

平田哲@debilityさんは、祇園山笠や博多どんたくでにぎわう福岡の生まれ。地元と東京を行きつ戻りつし、現在は福岡でエンジニアとして働きつつ、この7月1日(土)に開催されたプログラミング言語Perlのコミュニティイベント「YAPC::Fukuoka 2017 HAKATA」の実行委員⻑を務めました。

東京と地元のどちらも経験し、両方のメリット・デメリットを知る平田さんの経歴と考え方は、これからのエンジニアにとって指針となるところも多いでしょう。地元で「働き方」と「モチベーション」を見つけた平田さんに、エンジニアとして福岡に生きることを聞いてみました。

コミュニティの盛り上がりを感じつつ、2度の東京進出

──エンジニアとして、平田さんがどういった経歴を歩んできたのか教えてください。

平田 高等専門学校を2000年に卒業して、すぐに東京の会社に就職し、ソフトウェアの制作業務にプログラマーとして携わりました。

 その高専はもともと機械系が強く、同級生の多くは機械制御やロボット工学に進んでいましたが、私はとにかく「プログラマー」になりたくて、情報系をやりたいばかりに、できて5年くらいしか経っていない制御情報工学科を選択したのです。憧れてこの世界に入りました。

 就職したのは錦糸町(東京都)にある会社で、我孫子(千葉県)の寮に住んでたのですが、データセンターを作るような仕事の担当になり、それが相模原(神奈川県)でした。我孫子から相模原って、電車で片道2時間くらいかかるんですよ。だからもう疲れてしまって。

──それは疲れますね……。

平田 それもあり、知り合いのつてで「ドイツで働かない?」と誘われたこともあって、1年半で辞めたんです。ところがそのドイツの話が頓挫してしまって、じゃあ生まれ育った福岡に戻ろうかなと。

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平田哲(ひらた・さとし)さん/株式会社Fusic 技術開発部門 エンジニア

──福岡に戻ってどのような仕事を?

平田 Web系の会社に入ったのですが、2002年ごろの福岡でWebを利用している企業はそれほどなくて、SI(システムインテグレーター)は存在しても、ホームページやWebシステムを構築できる「Web屋さん」はほとんどありませんでした。

 なのでシステム構築だけじゃなく、社長と2人で手分けして事業所へ説明に回ったり、運用・保守、なんでもしてました。小さな組織でしたし、Webシステム制作のルールなども確立してない時代で、22歳で入りたてのエンジニアにしては裁量をもらって自由に動いていたと思います。

 いろいろと学ぶことができました。RubyやPHPはまだメジャーではなく、WebをやるならPerlしかないという時代でした。CPANモジュールが豊富で、何をするにも便利になったころです。

──そのころからPerlのコミュニティは存在したのでしょうか?

平田 東京では各種のIT系コミュニティができていて、ちょうどShibuya.pm(Perl Mongers)発足したころでしょうか。

Perl Mongersは、Perlエンジニアのコミュニティで、地域ごとにNY.pmや、Shibuya.pm、Fukuoka.pmなどが世界中に存在する。

 実はそのあとJavaを使う会社に転職したのですが、プログラマーはどうしても社内に閉じこもった作業が多いわけです。同じ閉じこもっているなら東京の方がいい仕事があるかもしれないと考えるようになり、もう1度上京を決意します。

 やはりWeb屋に転職したのですが、「PHPできる?」と聞かれて、これまで書いたことなかったけど多分できるだろうと(笑)。

──Perl、Java、PHPと渡り歩いて、言語の違いはどう感じましたか?

平田 プログラミング言語をいろいろと触ってみると、それぞれのよさ、得意分野があると感じます。PHPは取っかかりが速く、最初の学習コストも低くてすぐに入れました。これはPHPの強みであり、弱点だったかもしれません。

 Javaに関しては学校教育でも力を入れていて、エンジニアの層は厚かったと思います。ただ、福岡のような地方になると、質はバラバラでした。自分と同じ立場で採用されたはずなのに「intが分からない」という人すらいて(苦笑)。

──東京は質がもっと高かったのでしょうか?

平田 一概には言えないと思います。会社や現場によって違うでしょう。ただ、東京にはすでに名の知れたエンジニアがいて情報を発信していましたから、そういう人材を活用できる場は東京の方が多かったのではないかと思います。

 再び上京した2005年ごろに感じたのは、耳に入ってくる情報が、少しずつ増えてきているということです。コミュニティの動きが活発になりはじめていて、「楽しいことになってるな」と思いました。東京にいることはそういうメリットもあるのだな、と。

福岡に戻った理由、プログラマーに戻った理由

──東京でコミュニティのメリットは十分に楽しめましたか?

平田 実はそのころ、忙しすぎて体調を崩してしまい、コミュニティには参加できなかったんです。Shibuya.pmで発表した人のブログを読んだり、Rubyの勉強会に参加した同僚の「Ruby on Railsが面白いぞ」という話を聞いたりしていました。

──体調を崩したということは、東京の忙しさが合わなかったのでしょうか?

平田 私にはどうも「エンジニアは根をつめて働くべき」という思い込みがあったようで、夜遅くまで働いても、それが楽しいと思っていました。しかし、自分の体のことを考えると、体を壊してまでやるべきではないし、そのころから「働き方を選択できる」ということを考えるようになり、2006年にまた福岡に戻りました。

──2度目のUターンですね。引き続きWeb関係でプログラマーの仕事を?

平田 いえ、家庭教師やパチンコ屋のアルバイトを転々としていました。ただ、その中でプログラミングとは呼べないものの、システムのメンテナンスをする仕事がありました。PCを触り、MySQLをちょっと触って、そのとき「これなら楽だな」と思ったのです。

 限られた時間で仕事をするスタイルなら、自分の仕事量をコントロールできるし、慣れたことだから苦にもならない。これがいいのかもと思えたんです。

──自分に合う働き方を見つけられたということですね。

平田 東京に2回行って分かったのは、生活の軸にするには、人がすごく忙しそうに動くスタイルが自分には合わなかった。もともとパソコンが好きで、仕事は向いている。ならば“働き方”だけは気を付けないといけない。

 なので、東京ではなく、地元福岡でエンジニアをやろう、と思ったのです。現在は、また少し雰囲気の違うWebシステム屋にいます。かなり自由な会社です。

──東京から福岡と何度も転職を経験したことで何か得られたことはありますか?

平田 今の会社に移って気づいたことは、これまでいろいろな会社で経験した業務知識がけっこう生きてるなあということです。転職は大きなハードルだとは思いますが、過去の情報や知見をよく理解し、ブラッシュアップすれば、意外と“使える”ことが多い。すべてが勉強だなあと。

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コミュニティ活動の下地がある「福岡」の強み

──Perlのコミュニティに参加するのは地元に戻ってからでしょうか?

平田 はい。転職して最初に参加したFukuoka.pmの勉強会で、「YAPC::Asiaに行ってきました!」という発表があったんです。驚きました。「そんな面白いカンファレンスがあるんだ!」と。会社に頼んで、翌2009年のYAPCから自分も参加するようになりました。

草の根のコミュニティによるイベントYAPC(Yet Another Perl Conference)は1999年に北米で始まり、日本では2006年から毎年「YAPC::Asia Tokyo」として2015年まで開催された。現在はYAPC::Japanの一環として、YAPC::FukuokaやYAPC::Kansaiなどが全国で開催されている。

──Perlコミュニティに身を置くことで、エンジニアとして得られものはありますか?

平田 たくさんの技術的な知見が得られました。私も2001年くらいからPerlを書いていますが、もっと昔からガリガリと書いている人がいて、その生の声が聞けるわけです。先輩世代がまだ一線級で活躍し、プログラムを書いている。そんな面白い発表がありました。

 自分の業務はそのころインフラにも拡がっていましたが、そういった領域の知見もYAPCで披露されており、本当に学びの多いイベントでした。

 顔見知りが増えていくのも楽しかった。すごく有名なエンジニアだけじゃなく、たくさんのエンジニアと実際に会って、話せる。その「壮快感」は、YAPCならではだと思いました。

──福岡ではPerlエンジニアのコミュニティが大きいのでしょうか?

平田 いえ、福岡には多くの言語系コミュニティがあります。Perlは2008年ごろ既にありましたが、今では、PHP、Scala、Javaなど一通りのコミュニティが揃ってますね。

 私自身が業務で使うのは、主にPHPです。チームで作業をすると言語やフレームワークの違いがネックになるため、今の会社ではPHPもしくはRubyで統一しています。好きなのはやっぱりPerlですが。

──東京と地方のコミュニティに地政学的な差はなくなっているでしょうか?

平田 そういう意味でいうと、まだ差はあると思っています。どうしても参加人数の差。東京で働くエンジニアの方が多いですし、歴史もあります。

 ただ、地方都市としては、福岡はコミュニティの立ち上がりが早かったたようです。他の県から参加された方が、よく「福岡はコミュニティが活発ですよね」と言われるんです。それは早い段階から「コミュニティ活動をやろう!」と考える人が多く、土壌が整備されていたからだと思います。

──福岡で動きが早いのには何か特別な理由があるのでしょうか?

平田 九州は広いですが、その中で集まるとなると、まず福岡に行こうと考えます。東京に行くよりは近いですからね。福岡でイベントをやるなら参加したいという方も多く、今では取捨選択できるくらいにバリエーションに富んだイベントが開催されていて、ハードルも低くなりました。

 6月には3回目の「PHPカンファレンス福岡」も開催されましたが、聞くところによると、参加率がとてもよかったということです。YAPC::Fukuokaも同様で、ちゃんと来てくれるというのはとてもありがたいです。

「参加者として楽しかった」ことを重視したYAPC::Fukuokaの運営

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YAPC::Fukuoka 2017 HAKATAの公式サイトは、博多にわか面がモチーフ

──YAPC::Fukuokaの話を伺っていきたいのですが、まず実行委員長を務めた経緯を教えてください。

平田 酔っ払ってSlackで「福岡でYAPCをやろう!」と言い出した人がいたんです。じゃあ「やるならちゃんとしましょうよ」ということで、Fukuoka.pmの代表は社長で忙しく、言い出しっぺはそういうタイプじゃないので、私に白羽の矢が立てられました(苦笑)。

──実行委員長として心がけたことはありますか?

平田 今回のYAPCに関しては、まず自分がこれまで参加したイベントを振り返って「参加者として楽しかった」ことを重視しました。せっかく福岡に来るんだから、福岡を楽しんでもらおう、と。まずはそこを過不足なく伝えるということを重視しました。

──ホスピタリティの重視ですね。

平田 YAPCは「お祭り」という側面もあると思っています。以前のYAPCでは、芝生でビールを飲みながら技術の話を楽しむというくだけた感じだったこともあります。「楽しむ」ということにも主眼を置いているのが、他のカンファレンスとの違いなのかもしれません。

 たとえば、このために遠征してきてくれたとしたら、今日(※編注:インタビューはYAPC::Fukuoka翌日の日曜日に福岡市内で行われた)は福岡で楽しんでいってもらえるとうれしいですね。Twitterでも「本日YAPC::Fukuoka2日目です!」という投稿が見られたりしますし(笑)。

YAPC公式ブログには、福岡のお土産やグルメ、観光情報も掲載されていた。

 2日目はこちらで提供できることではありませんが、「(0日目にあたる)前夜祭はしっかりやりましょう」という思いもあり、ありがたいことにGMOペパボさんが前々夜祭を企画してくれました。

 ピクシブさんも後夜祭的なイベントを開催してくれて、いろんな会社がイベントを作ってくれるのはうれしいことです。今回は「自分たちが運営できる範囲」の外で、皆さんが自然発生的にいろいろと動いてくれました。本当に感謝しています。

 北海道で去年の冬に開催された「YAPC::Hokkaido」でも、開催翌日にたまたま「Serverless Meetup Sapporo」が開催されたりしました。こういうことは想像もしていないことで、一緒にお祭りに乗ってもらえる感覚は面白いですね。

──YAPC::Fukuoka当日を振り返ってみてどうでしょうか?

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YAPC::Fukuoka 2017には、地元や東京、沖縄などから200人が集まった

平田 200人くらいの参加者に、それぞれ「きちんと何かを持って帰ってもらう」というイベントになりました。タイムテーブルもバリエーションに富んでいて、徳丸浩@ockeghemさんによるセキュリティに関するセッションも行われました。

 徳丸さんが取り上げたのはほとんどがPHPの事例だったようですが(苦笑)、参加者からは「思った以上にPerlの話が多かった」とも言われました。現場では他の技術に置き換えられつつある言語ともいえますが、Perlに限らず話せる、それはそれでいいんじゃない? というのがYAPCなんです。

──YAPCだけではなく、福岡の勉強会やコミュニティの雰囲気はどうでしょう。

平田 新しい技術の勉強会もスッと出てきていたり、ちょうどいい増え具合です。休眠状態になっていた勉強会でも、新しく再生させてみたら「待ってました!」とばかりにみんなが参加してくれますし、まだなければ作ればいい。

 最近で面白かったのは、若いエンジニアが企画したLTだけの勉強会で、タイトルも「俺の話を聞け!!」(笑)。内容も自由で、言語の縛りもない。目立つので人も集まりますし、参加人数も多い。「やりたいから立ち上げる」が、福岡で根付いているんです。

 私も「10年若ければよかった」と思ったりしています。今はコミュニティが既に存在しているので、その環境なら、新しいコミュニティも作りやすいのではないか。だから、うらやましいですね。

──今後への課題と感じることはあるでしょうか?

平田 もしかすると「運営する人の冗長化」かもしれないです。若い人たちに引き継げるとよいのですが、大切なのは「やる!」と宣言してもらうことかなとも思います。ボランティアが必要だとアピールすると、やりますよと手を挙げてくれる方がいっぱい出てきてくれるんです。

 今回もボランティアスタッフに若い人がたくさん入ってくれていますが、「YAPCは参加したことがなかったけど、スタッフをしながら登壇者の話が聞けて楽しかった」と言ってくれたのは、本当にうれしかったです。「お祭り」だから、出て行かなければ損だよ、ということは伝えていきたいですね。

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平田さんと、YAPC::Fukuoka実行委員のみなさん。
写真はYAPC::Japan運営ブログより。

──平田さんにとって、コミュニティとはどのようなものですか?

平田 「モチベーション」でしょうか。業務で生かせた結果や成果を勉強会で発表する、というモチベーションで仕事をしてきました。自分の中では、勉強会もコミュニティ活動も「発表してナンボ」。それがないと、どこかで潰れてしまっていたかもしれません。

──勉強会に登壇することがモチベーションにつながっているのですね。

平田 もともと仕事と休みはきっちりと分けたいほうで、自宅で作業するのも好きではありません。一方で、「学び」を積極的に行わなければ、どこかで成長が止まってしまう。ですので、学ぶためのモチベーションの1つとして「登壇」を選びました。

 発表するには、自らが学んで、他の参加者に説明できなければならない。そういう働き方がしたいこともあって、私にとってコミュニティ活動は重要なものなのです。

身を置く環境を変えて、楽しんで働いてもいいのかもしれない

──地方で働くことにエンジニアとしての“障壁”はいま存在するでしょうか?

平田 地方にいても、技術トレンドが伝わる時差はほとんどないですね。2011年くらいまでは、東京のトレンドを福岡で投入するまでタイムラグがあると感じていましたが、現在はけっこう埋まっています。

 それだけでなく、福岡から発信することも出てきている。これまでと何が変わったかというと、エンジニアの気持ちだったり、勇気だったりするのかもしれません。

──働き方としてはどうですか?

平田 私は東京が少し合わない、という話をしましたが、地方の出身ということもあり、あんまり人がいっぱいいない方が合ってるという気持ちがあります。

 実家も福岡からちょっと離れたところにあるのですが、福岡の中心部から車で30分も走るとすっかり田舎の風景になります。福岡は都市として十分に機能していますが、住環境の選択肢も広い。そんな生活スタイルが合ってるなら、無理に東京にいる必要はない。福岡でも同じ働き方ができていますから。

──同じ働き方ができるのはいいですね。

平田 今はリモートワークも当たり前の時代で、YAPCの運営スタッフでヌーラボに努めている林由子@hayashi_77さんは、普段は九州本島から船で30分かかる宗像大島に住んで、そこからリモートで働いています。福岡の中でもそういう働き方ができますし、福岡に限らず「地方に戻る」ための選択肢は増えていると思います。

 また、いろんなコミュニティやカンファレンスで活動していると、横のつながりができます。今回のYAPCにも、PHPカンファレンス福岡の参加者がたくさん来てくれました。合同で二次会やったり、三次会で合流したり。楽しかったなあ(笑)。

 そんなつながりができやすいのも、小さな地方都市ならではなのかもしれません。

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──エンジニアにとっては働きやすいのかもしれませんね。

平田 エンジニアなら、技術を磨けばいつでもどこでも活躍できます。もうちょっと楽しんで働いてもいいのかもしれません。

 私は昔、東京で消耗していて、やっぱりしんどかったんですよね。そういうときには、2つの選択肢があると思ってます――「現状をよくしていく」か、もしくは「環境を変える」か。

 現状がどうにも改善できないのなら、身を置く環境を変えるという方法もあります。自分が成功したのかはわかりませんが、少なくとも今のほうがエンジニアを楽しめていると思います。

──福岡に戻ったことはよかったのですね。

平田 生まれ育った場所ですので、慣れてる、ということもあります。福岡は「博多山笠」など、お祭り気質なところがありますしね。お祭りで「えーい!」です(笑)。そういうのが好きな人が多いので、そこに乗っかってしまうのもいいのではないでしょうか。

 いまの会社でも、メンバーには「残業はしないでね」といっています。メリハリを付けて、無理をし続けない。たまには息を抜いて、学びを遊びに昇華したり。モチベーションをキープする方法を考えるべきだと思います。

 コミュニティも「お祭り」みたいなもので、肩ひじ張って「参加した以上は何か持って帰ろう!」と考えすぎると、つらくなってしまいます。登壇する、交流するといった楽しみ方を探したり、悩みを共有する場として使ってほしい。そう考えれば、無理なく楽しめると思いますよ。

──本日はありがとうございました。

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7月上旬の博多は祇園山笠の季節で、町中には山笠が飾られている。写真は、東流の飾山笠。
YAPC::Fukuokaで司会も務めたJPA(Japan Perl Association)スタッフのid:papixさん(右)と。

取材・構成:宮田健(みやた・けん) 7 dpost.jp

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